木滑のおはなし

木滑のおはなし
物語
木滑物語

水が流れる音が、今日も遠くから聴こえる。
山々に囲まれた里山、木滑の土地を、
朝陽はゆるやかに照らしだす。

道をゆく誰もが声を掛け、名前を呼び、
笑い、いたわり合う。
石積の棚田、
色とりどりの土蔵が並ぶ集落の中、

人々は山を見上げ天候を知り、
土に触れ、実るものを食べる。

陽は明るいままに、山々の中沈む。
形のない淡い赤に包まれる頃、
人々は道の端に腰をおろし、
今日の日を語り合う。

そして訪れる圧倒的な静寂。
波打つ黒い輪郭の中に、人と山は眠る。


日本の里山に、時はゆっくりと流れる。
古から語り継がれるおはなしが、
生活の中、生き続く。

様々な世界の境界域である里山に、
今日も物語は生まれ、紡がれていく。

木滑

石川県金沢市の中心部から南に約一時間。
金沢市に隣接する白山市に、その村はある。

手取り川沿いに伸びる国道157号線を走ると、
石積の棚田、色のついた土蔵を持つ集落が見え出す。

豊かな緑、色とりどりの紅葉、銀白の山々。
日々移ろいゆく世界が、目の前にある。
女神が宿る美しい白山のふもとに位置する、
素朴であるも、壮大な風景をもつ小さな里山。
それが、木滑だ。

集落の端にある細い道を少しのぼると見えてくるのは、
山の麓にまっすぐ伸びる一本道と、
その両側に並ぶ石積の棚田。
村の人々には‘釜の上’と呼ばれるその場所に、
かつて広がっていたのは、夏は緑、秋口には黄金に輝く水田だった。
木滑のおばあちゃんは言う。
「もう田んぼや畑をやめてしまってからは、一回も上に行っとらんし、
どんなんになっとるか、わからんわいね。」

かつての風景は、もうない。

生い茂るは蔓と、雑草。少しのウド畑があるも、大きく育ちきってしまったものが目立つ。
高齢化が進んだ木滑の人々にとっては、
細く急な坂道をのぼることも少なくなり、
重機の入らない土地を耕すことは、とてもできない。
山で遊ぶ子供もおらず、人は薪を取りに山へ入ることも少なくなった。
山の中に生きる動物と、うまく住み分けてきたはずの
境界的空間が乱れてきてしまった。
暖かい時期には4頭の牛が伸びてくる草を食べ、
山から降りてくる猿やイノシシ、熊から村を守ってはいるが、
日中でも静かに静かに風に揺れる、
木々や草花の風景だけがそこにある。

そんな木滑に変化が訪れつつある。

2010年9月19日。
その釜の上に響くのは、人の唄声。
広がるのは人の笑顔。
高齢化により、いつの間にかなくなっていた村の祭りが
何十年かぶりに復活した日だった。
3区合同で初めて行われた、伝統的なお祭り
「あさんがえし」。
84歳のおじいさんの力強い唄が山に響く。
唄を受け継ぐ若い男性がそれを追って声をはる。
集落の男性が踊りながら囃子の声をあげる。
笠に隠れた女性の目は、柔らかくも強い。
人々は太鼓の拍子に合わせ、山の中、踊りつづける。
おじいちゃんもおばあちゃんも、数少ない子供たちも。
山の中、ただ踊り続ける。

木滑。
これといって目をひくようなものは、何もない。
しかし、今の日本がおいてきぼりにしてしまった“何か”が、この場所には、ある。
日本の里山を考える。日本の自然を考え、人間を考える。
人間の幸せを知る。

人と人の間に流れるもの、人と自然の間に流れるもの。
歴史と現代の狭間。
境界的空間である里山で、
人がもう一度、人と自然に向き合い動き出すとき、
一体何が見えるのか。

今ここにあるのは、脈々と受け継がれてきた、
木滑の土地に流れつづく物語。
そして、今新たに始まる物語。

木滑物語は、
そんな、‘木滑’という日本の片隅に存在しつづける、
一つの里山に流れる物語を語ります。