山笑いー木滑な時間ー
2011年04月20日 水曜日人々comments (0)
木村秋則自然栽培塾3回目 vol.1
先週末はJAはくい、羽咋市主催の「木村秋則自然栽培塾」の第3回目に出席しました。
実は前回(2回目)はちょうど2月山笑いと日にちがかぶってしまい出席できませんでした汗
(第1回目の報告ブログはこちら右vol.1 vol.2 vol.3 vol.4

初日はJAはくい低温倉庫にて。

まず始めに、1回目の講義でもお話されていたお米の腐敗試験(報告ブログ右vol.2)。



比較したものは、
・慣行栽培(農薬、肥料あり)
・冬水田んぼ
・有機JAS
・無農薬無肥料
・岡山木村式1年目
・自然栽培3年以上

まだ一週間しか経っていなかったので見た目はほとんど変わりませんが、においは少し違いました。

自然栽培のものはすっぱいお酢のようなにおいで、発酵していました。
一方、冬水田んぼ、慣行、有機JASはすっぱいにおいの中に、あとの方まで鼻につく感じがしました。
しばらく嗅いでいると頭が痛くなりそうな臭いです。
もう少し日にちを置けば差が歴然としてくるでしょう。

次は、第2回目に作った培養土のチェック。



今年はやはりどこも雪が多く、寒かったので、バクテリアがあまり活動せず、なかなか培養土の温度が上がりません。
そこで、土に棒でグリグリ穴を開けて、またその上に被せるビニールにも少し穴を開けて、保温しつつ、空気を入れてやります。

どうして温度が上がらないのか。
右バクテリアの活動が活発でない。
右その活動を促進させるためにバクテリアに呼吸させる
右空気を入れてあげる。

バクテリアが元気に生きるためのお手伝いをしてあげることが大事なのです。

次は外に出て、田起こしです。
昔から機械いじりの好きな木村先生。
トラクターのロータリーの爪を外します。



先程述べましたが、土に空気を入れるために荒く起こします。
そのため、市販のロータリーの爪の数では細かくなりすぎるみたいです。





しかも10~15cmと浅く起こして、根の力を最大限に引き出します。

トラクターの入れなかった隅の所は、スコップ、鍬で起こします。





木村先生が何度も口をすっぱくして言うのは、
「よく土が乾いてからでないと田起こししてはいけない」
ということです。

耕して乾かすのではなくて、乾いた土を耕す事が大事なのだそうです。
収量が全然違うみたいです。
これは乾土効果と呼ばれるもので、またもバクテリアの力を最大限に活用する方法です。

自然栽培は、自然の力をうまく利用する農法というよりも、生き物の生活のお手伝いをする農法と言った方が適しているような気がします。


2011年03月20日 日曜日そのほかcomments (0)
農村と都市をつなぐ。その2
こじんまりと内容の濃ゆい講演会でした。



上木滑の田島区長も一緒に参加です。
頑張っていきましょうパンチ

さて、
今まで様々な講演会などに参加してきましたが、
皆さん口を揃えて言うのは、『最終的に行き着く結論は「若い人材」が必要である』ということ。

「NPO法人えがおつなげて」が運営する、えがおの学校では都市農村交流マネジメントコーディネーター育成を目的とした事業を行っています。
そのコーディネーターに必要な6つのスキルがあります。

・農村現場での経験と知識
・マネジメント能力
・問題解決企画能力
・人・社会への共感コミュニケーション
・政策の知識
・市場の知識

…………
大変そうです汗
が、コツコツと一つずつ勉強していきたいです。

生活していけるシステムを作るためには色々なやり方がありますが、どんなことができるのでしょうか?



掛け算すると40通りのやり方があるといいます。
ヒントになりそうです。

実際、曽根原さんのやってこられた取り組みは、企業や大学とうまく連携をとっているものばかりです。
こんなにうまくいくの?と疑問に思うほどです。
それはやはり都市のニーズをちゃんと把握しているからだと思います。

そのためには常にアンテナを張りめぐらせ、色々なところに問題点を見つけ出せる能力を身につけなければなりません。

精進あるのみです。


2011年03月18日 金曜日そのほかcomments (3)
農村と都市をつなぐ。その1
17日に「いしかわの新しい里山づくりキックオフイベント」が地場産業振興センターにて開催される予定だったのですが、震災の影響で延期になりました。

しかし、翌日予定していた里山創造人材育成セミナー@県庁は開かれ、「NPO法人えがおつなげて」(HPはこちら)代表 曽根原久司さんの講演会に参加してきました。



曽根原さんのお住まいの山梨県は耕作放棄地率が全国第2位で、なんと800ha(東京ドーム170個分の面積)もあるそうですぎょ
そもそも耕作放棄地というのは、農作物が1年以上作付けされていない農地のことです。
これは、過疎高齢化が進み、農業の担い手がいなくなるのが原因で、日本各地で深刻な問題となっていますダッシュ

そこで、曽根原さんは、ほとんど土に触れたことのない都会の人に開墾ボランティアとして来てもらい、ほったらかしの耕作放棄地を起こし、かつての美しい棚田に戻したそうです。
一度野生に戻ってしまった場所を一から起こし始めるのはとても大変だったと思います。
しかし、地域の住民が、かつての田棚の風景に強い思い入れを抱いていたため、地域の方々と共に復活させたそうです。

ほんとうに素晴らしいことだと思いました。

諦めていた昔の風景が蘇る。
懐かしむ。
きっと村全体が元気な笑顔に包まれたことでしょう。

そして、
木滑の「釜の上」にも広大な耕作放棄地が拡がっています。



どうにかどうにかして、ここをかつての石積みの美しい棚田に戻して、木滑を元気にしたい!
そして、木滑から日本を元気にしたい!

と、今、切実に思います。

前進あるのみです。